宗教百科(知識、心得、作法、)

華厳宗(けごんしゅう)について

   
華厳経を所依として中国唐代杜順に起こり、賢首(げんじゅ)大師法蔵によって組織大成された大乗の一宗。日本では南都六宗一つで華厳宗の大本山は、東大寺で聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が始まりです。 745年に東大寺となり大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年になります。 唐の法蔵について華厳を学び新羅国から日本に来航して大安寺に住した審祥(しんじょう)が、日本華厳宗の祖。本尊は盧舎那仏
It is a sect of Mahayana Buddhism that originated in Dushun in the Tang Dynasty of China and was organized and perfected by Kenju Daishi Hozo on the basis of the Kegon-kyo (Avatamsaka Sutra). The main temple of the Kegon sect in Japan, one of the six Nanto sects, was founded at Todaiji by Emperor Shomu as a memorial to the Crown Prince. It became Todaiji Temple in 745, and it was in 789 that the Great Buddha Hall, lecture hall and other buildings were completed. The founder of the Japanese Kegon sect was Shinjo, who learned Kegon from the Tang dynasty Hozo and came to Japan from Silla and lived in Daianji. The principal image is Rushanabutsu.
※盧舎那仏(華厳宗では釈迦如来の別名・密教では大日如来)
※伽藍とは:寺の建物の総称。

本山:東大寺について

東大寺

東大寺 公式HP
東大寺は聖武天皇の皇太子基親王の菩提を追修するために、神亀5年(728)に建てられた金鍾山寺に源を発し、天平13年(741)に国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格してなった大和国国分寺(金光明寺)を前身とする。天平15年(743)に盧舎那大仏造顕(造立)の詔が発せられ、都が紫香楽(滋賀県甲賀市信楽町)から平城に還ると、大和国金光明寺で盧舎那大仏の造像工事が始まり、天平21年(749)仏身が鋳造。同時に大仏殿の建立も進んで、天平勝宝4年(752)に盛大な開眼供養会が営まれた。その後、西塔や東塔、講堂や三面僧房などが造東大寺司の手によって造営され、東大寺としての七堂伽藍順次整った。 東大寺は国分寺として建立されたので、天下泰平・万民豊楽を祈願する道場であったが、同時に仏教の教理を研究し学僧を養成する役目もあって、華厳をはじめ奈良時代の六宗、さらに平安時代の天台と真言も加えた各研究所(宗所)が設けられ、八宗兼学の学問寺となった。(東大寺HP参照)

葬儀全般

日本の葬儀は主に仏教ですが、社会人としてのマナーとして神道・キリスト教等の情報も集めました

仏壇・作法・心得

仏の教化。仏教の行事・法事・法要。仏壇は仏を祀る壇、起源は持仏堂・魂棚など所説あります。社会人としてのマナーとしてご紹介します。

中国華厳宗の思想


「一即一切、一切一即」:

全体は個の中にあり、また個一つ一つの中に全体があること。 個と全体は相即しているという考え方。
主な経典
『大方広仏華厳経』:

大乗経典。華厳宗の根本聖典。漢訳には東晋の仏駄跋陀羅ぶっだばっだら訳の60巻本、唐の実叉難陀じっしゃなんだ訳の80巻本、 唐の般若はんにゃ訳の40巻本の3種がある。釈迦が成道じょうどうした悟りの内容を表明した経典とされ、全世界を毘盧遮那仏びるしゃなぶつの顕現とし、 法界縁起・無尽縁起を説く。大方広仏華厳経。( 小学館/デジタル大辞泉参照)
華厳経: 唯心偈(華厳経の中の詩句)

「存在するものは、すべて心の現れである」という考え方

華厳経: 如心偈(華厳経の詩句の髄)


心と仏と衆生のこれら三つに差別はなく、この世の全ては自身の心から出来ているの意味

仏壇については特に決まりはないので、自分が信仰している仏様があった場合には、そちらを祀っても問題ない
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