仏教と違い神道は死を、嫌いますので作法についての違いとなります。神棚は家庭内における小さな神社です。
神棚は神さまを祀るための宮形(みやがた)・神殿(しんでん)の名称
で 神社本殿を模して作られ白木で造られもので、様式としては大きく分けて、神明造(しんめいづくり)・大社造(たいしゃづくり)があります。 扉の数での分け方として、一社造り、三社造り、七社造りなどがあります。
※家庭では、一社造りまたは三社造りの宮形が使用されることが多い。
伊勢の神宮を別格として、氏神神社と崇敬神社の二つに大きく分けることができます。◆神棚の宮形(みやがた)の種類
氏神神社とは:居住する地域の氏神様をお祀りする神社で、この神社の鎮座する周辺の地域に居住する方を氏子(うじこ)といいます。
崇敬神社とは:こうした地縁や血縁的な関係無く、個人の信仰により崇敬される神社をいい、こうした神社を信仰する方を崇敬者と呼びます。一人の方が両者を共に信仰している場合もございます。
千木は屋根の両端で交叉させた部材(木材)、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材(木材)
神棚の種類
最近では、あまり気にされない方が増えてきています。目線より高い位置で清潔あれば良く大切なのは神様に敬意を払い、毎日お参りすることです。
一社造りでは一番前に伊勢神宮(天照皇大神宮)の神札(大麻)・氏神神社の神札・信仰する神社の神札の順で祀る。
三社造りでは中央に伊勢神宮の神札(大麻)・向かって右に氏神神社の神札・左に崇敬する神社の神札を祀る。
五・七社造りでは中央に伊勢神宮の神札(大麻)・向かって右に氏神神社の神札・左に崇敬する神社の神札を祀り、空いている社に崇敬する神社を右から順次祀ります。
出雲大社の場合は、中央に伊勢神宮の神札(大麻)、向かって右に出雲大社の神札(御玉串)、左に氏神神社の神札を祀ります。
神棚の扉は閉めてお祀りします。お札はできるだけ毎年新しいものに取り替えます。古いお札は、神社に納めお焚き上げしていただきます。
「祖霊舎」は故人を祀るもので神徒壇(しんとだん)とも呼ばれています。 神道のでは「神様を祀るのが神棚」で、「故人を祀るのが祖霊舎」に分かれています。祖霊舎には、霊璽は故人の霊が宿る依代である霊璽(れいじ)をお祀りします。 霊璽は「御霊代」とも言われています。
神道(しんとう)では、先祖の御霊(みたま)はその家の守護神となるといわれており、 御霊を祀る祖霊舎(それいしゃ)は、御霊舎(みたまや)、神徒壇(しんとだん)、祭壇宮(さいだんみや)ともいわれています。 御霊が宿る霊璽(れいじ)を祀りますので、神棚とは別に安置します。場所は、祖霊舎の位置が神棚より低くなるよう安置します。南向きか東向きで、お参りしやすい場所がよいとされています。
霊璽に御霊が宿り、忌明け後に祖霊舎(それいしゃ・みたまや、仏教の仏壇に相当するもの)に霊璽が移され、家の守護神として祀られます。 家の守護神である、霊代の宿る霊璽は大変神聖なものとして扱われます。
霊璽の年齢表記について霊号には、「称名(たたえな)」、「尊称」、「結辞」を付けることが多いです。 成人男性の場合は「大人(うし)」、成人女性の場合は「刀自(とじ)」 童子、姫、翁、大刀自..などです。 尊称は「命(みこと)」、または「之命(のみこと)」と付きます。 結辞ですが、ここには「霊」、「霊位」、「之霊」が付きます。例えば「○○大人命霊位」といった霊号がつけられます。 没年月日は、神道では「帰幽(きゆう)」をつけます。
例えば令和○年○月○日帰幽 享年○○歳
主に【享年】を用います。神具について
【行年】:生涯を通じて懸命に【修行】を続けた尊い年数。
【享年】:天から享(う)け命をまっとうした年数。
日本では古くは満年齢の概念が無く【行年】・【享年】共に数え年だったそうですが、享年は【数え年】(母親の体内で生命が宿った時点で0歳という考え方がありますので、出産されてからが1歳と考えです)
行年は【満年齢】とされている説もあります。
年齢表記:歳か才かについては【歳】を表記するのが一般的です。(才は略字としては、古くから存在していたと思はれるが、正しいくは、「○歳」を使った方がよいと思はれる。
数え年とは:その年の誕生日を迎えていない場合:【満年齢+2歳】となり、その年の誕生日をすでに迎えている場合には【満年齢+1歳】となります。
神具とは神棚の祭祀に用いられる道具・器具
神社や神棚に供える供物、御饌(みけ)や御贄(みにえ)ともいいます。
榊・樫・杉などの木の枝に、紙垂(しで)や木綿(ゆう)を麻で結んで下げたもので、神前にお供えするものとして、米・酒・魚・野菜・果物・塩・水等の神饌と同様の意味があると考えられています。玉串は祭典の中で捧げて拝礼することから、格別な意味を有するものであることが分かります。 玉串の由来は、天照大御神の岩戸隠れの際に、神々がおこなった祀りでは真榊に玉や鏡などをかけて、天照大御神の出御を仰いだことが記されています。
聖な区域とその外とを区分するための標。
「神鏡は太陽神である天照大神の象徴で、神霊のご神体として神棚の扉の前に祀られます。 常は「雲形台」と呼ばれる雲の形をした台にのせて用います。神鏡に映る自分の姿を目にし、自分を振り返り、本当の心で神様に向き合うもの
神饌 を載せるための台で三方台とも言って神酒・水・鏡餅を乗せる台のことです。
主に釉 (うわぐすり)をかけてない素焼きの陶器で、お神酒を振る舞う用途に使用されます。地鎮祭等に使用される事が多い
三本の脚をつけた灯明皿または燭台
榊をお供えるための白色の陶器製花立、神棚の左右には1対の「榊立て」に榊(さかき)を入れて供えます。
「紙垂(しで)」を「幣串(へいぐし)」と呼ばれる竹や木で挟んだものです。
お祓いで使用する祓串(はらえぐし)の事で、 日本人は生命力の強い植物である大麻を神様が宿る草として神聖視していました。
神話では、大麻が神の依り代とされている一説があります。
祓えのあと、人々がこれを引き寄せてからだを撫で、罪やけがれをそれに移したという。
神式に使用される白木でできた小机や台 玉串(たまぐし)を乗せるための案は、玉串案といい、お供え物の食物を乗せる案を、餞案(せんあん)
高坏(高月)は、三方の真ん中に置く、お米をのせる土器です
檜?(ひのき)?のへぎで作った縁つきの盆。多く方形で、食器などをのせる。足打ち折敷・平折敷・隅?(すみ)?の折敷・傍?(そば)?折敷などがある。
貴重な物や、重要な物を収めるための用具。長方形で、4本ないし6本の脚がついており
神霊 が依り憑く(よりつく) 依り代 の一種。 人間の霊を宿す場合は人形を用いるなど、神霊が依り憑き易いように形を整えた物を指す。 身代わり 信仰により、人間の身代わりとされた。
巫女が神楽舞(巫女舞)を舞う時に持つ鈴です。
鳥居は神社の内と外を分ける境に立てられ、鳥居の内は神様がお鎮まりになる御神域として尊ばれます。 代表的なものとしては、鳥居上部の横柱が一直線になっている神明しんめい鳥居と、この横柱の両端が上向きに反っている明神みょうじん鳥居があります。このほか、形態では明神鳥居の横柱上部に合掌形の破風はふのついた山王さんのう鳥居や、また朱塗りの稲荷鳥居など特徴的なものがあります。
神霊が移動する際に神体または御霊代が乗るとされる輿( 人が肩で担ったり手で持って運ぶようにした乗物)。
出雲大社などで神事に用いる神道用具。祝詞奏上後に「左右左」と振り、祈念する
神前に水を供える場合に用いる
掻敷(かいしき)は神饌の下に敷くもの
柳の枝を生糸で編んで作った箱で、神鏡や布帛などを納める。霊祭作法
神道の儀式の総称で主に追悼儀式を、「霊祭」といいます。神社本庁の栞には、一年祭までを神葬祭とし、それ以降の祭儀を祖霊祭と記すなど明確な区分けがされています。
霊祭 | 年忌祭(令和3年を起点) | 神葬祭・祖霊祭 | 一般的な祭祀料(金額) | 玉串料(親族以外) |
---|---|---|---|---|
翌日祭(2日目・1日後)中陰(忌中) | 翌日 | 神葬祭 | 1万円~5万円 | 3千円~1万円 |
10日祭(10日後) | 10日 | 神葬祭 | 1万円~5万円 | 3千円~5千円 |
20日祭(20日後) | 20日 | 神葬祭 | 1万円~5万円 | 3千円~5千円 |
30日祭(30日後) | 30日 | 神葬祭 | 1万円~5万円 | 3千円~5千円 |
40日祭(40日後) | 40日 | 神葬祭 | 1万円~5万円 | 3千円~5千円 |
50日祭(50日後) | 50日 | 神葬祭 | 1万円~5万円 | 3千円~5千円 |
合祀祭・清祓いの儀 | 51日 | 神葬祭 | 1万円~5万円 | 3千円~5千円 |
1年祭(1年後) | 令和4年 | 神葬祭 | 3万円~5万円 | 3千円~1万円 |
2年祭(2年後) | 令和5年 | 祖霊祭 | 3万円~5万円 | 3千円~1万円 |
3年祭(3年後) | 令和6年 | 祖霊祭 | 3万円~5万円 | 3千円~1万円 |
5年祭(5年後) | 令和8年 | 祖霊祭 | 1万円~5万円 | 3千円~1万円 |
10年祭(10年後) | 令和13年 | 祖霊祭 | 1万円~5万円 | 3千円~1万円 |
20年祭(20年後) | 令和23年 | 祖霊祭 | 1万円~5万円 | 3千円~1万円 |
30年祭(30年後) | 令和33年 | 祖霊祭 | 1万円~5万円 | 3千円~1万円 |
40年祭(40年後) | 令和43年 | 祖霊祭 | 1万円~5万円 | 3千円~1万円 |
50年祭(50年後) | 令和53年 | 祖霊祭 | 1万円~5万円 | 3千円~1万円 |
神道で祭祀に関わる行事を行った際に、神主に渡すもの。
慶事では、例えば 七五三や地鎮祭等で神主への謝礼 として用意します。
※弔事であれば、 通夜祭等の葬儀にまつわる一連の儀式のお礼 として、喪主が神主へ渡すものとして用意します。
御玉串料は、神様へのお供え物として用意する金銭のことです。参列者が玉串の代わりに、 神様へのお供えとして持参するお金を「御玉串料」と呼ぶことから、香典袋の表書きには「御玉串料」「御榊料」と書くのが一般的です。
※葬場祭の後、神主にお渡しする謝礼の表書きは、「御玉串料」「御神饌料」「御礼」などとします。
初穂料:現代は神様にお供えするお金を初穂料といいます。 昔は初穂を神様にお供えしていた事が由来です。 玉串料:現代は玉串の代わりにお金をお供えします。 昔は榊の枝に紙垂(しで)をつけた玉串を神様にお供えしていました。
氏名の書き方【連名の場合】複数名の連名で出す場合:右から上位者・目上の人を書きます。上位・下位等の区別がない場合は、五十音順で書きます。 金額:壱(一)、弐(ニ)、参(三)、阡(千)、萬(万)というように漢数字で書きます。
神道では死を「穢れ」とみなしています。神社は聖域ですから、死に関する儀式は神社では行いません。場所は基本的に自宅か葬祭場などで行います。 儀式を行うのは必ず夜中です。かつては「みたまにおうつりいただく場所(みたましろ)」には鏡が選ばれていました。遷霊祭で霊璽に故人の魂を移す儀式が行われます。 最初の遷霊祭は、通夜祭の中で行われその後十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭と10日ごとに儀式が行われ、 清祓いの儀(五十日祭の次の日・忌が明け)後、完全に霊璽に魂が宿るとされています。清祓いの儀が終了した霊璽は、上から覆いをかぶせて丁寧にお祀りします。
通夜祭(つやさい)から御霊移しについて詳しくは⇒葬儀のページへ
親族が亡くなったとき、身内の者は喪に服しますが、このことを「服忌ぶっき」といいます。 「忌」とは故人の祀りに専念する期間、「服」とは故人への哀悼の気持ちを表す期間のことをいいます。 戦前までは、江戸時代に定められた「服忌令」が公的な基準として用いられていました。 この「服忌令」によると、最も期間が長いのが父母の場合で、「忌」が五十日、「服」十三ヵ月でした。それ以外の親族は、「親等」が離れるに従い期間が短縮されています。 戦後、官公庁などでは職員の服務規程の中で、「忌引き」の期間が定められました。 配偶者は十日間、父母は七日間とするのが一般的なようですが、基本的には各地域の慣例に従っているのが現状です。 「服忌」については、地域に慣例がある場合、その慣例に従うのが適切です。特に慣例がない場合には、五十日祭までが「忌」の期間、一年祭(一周忌)までを「服」の期間とするのが一般的でしょう。 ですから「忌」の期間である五十日を過ぎれば、原則として神事を再開しても差し支えないと考えられます。 「忌」の期間中は、神社への参拝を遠慮しますが、やむを得ない場合には、お祓いを受けるのがよいでしょう。(神社本庁HP参照)
葬儀のが終わると十日ごとに霊祭があり十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭 自宅の仮霊舎前にて行います。十日祭は、葬儀当日にそのまま続けて行うこともあります。
五十日祭を持って忌明けとなる、とても大切な祭りです。
清祓いの儀は、忌明けの翌日に行います。 手水の儀で清めた後、神職により祓詞を奏上します。
新しく神様となった故人を 先祖の神と共にまつるために行うのが合祀祭です。
埋葬祭は、御遺骨をお墓に埋葬するための儀式です。
霊祭の服装について
【男性の場合】ご遺族や近親者は正喪服か準喪服 招待されて参列する場合は:準喪服か略喪服【女性の場合】ご遺族や近親者は正喪服か準喪服、招待されて参列する場合は、 準喪服か略喪服【子どもの場合】服装マナーは特に決められていませんが華美にならず白いシャツや黒・紺等のズボンやスカートを着用します。学生でいしたら制服を着用します。
お盆 は、旧暦7月15日を中心に行われる祖先をまつる行事で、7月13日夕方の迎え火に始まり、7月16日の送り火に終わります。 一般に盆とは、盂蘭盆うらぼんの略とされ、盂蘭盆には梵語ぼんごで倒懸さかさづりになっているのを救うという意味があり、あの世で非常な苦しみを受けている死者を供養し救う仏教行事とされています。 しかし、供え物を載せる容器を日本の古語で「ボン」と言ったことから盆になったという説もあり、盆行事は、日本に古くからあった祖霊祭の名残であろうとも考えられています。 関東地方では7月15日に行われることが多いようですが、関西などの西日本では月遅れの8月15日に行うところが多く、「おがら」と呼ばれる麻の茎や麦藁、松の割り木などを焼く迎え火・送り火の風習は、江戸時代に盛んになったと言われています。 また、盆踊りは、本来、祖先の霊を慰め送り出すためのもので、あの有名な阿波踊りも盆踊りの一つです。 正月や盆など祖先の霊は年中いく度も子孫のもとを訪れます。正月棚や盆棚ぼんだな(先祖棚)はその際に祖先を迎える場所で、神棚や御霊舎みたまやの原型とも考えられています。 (神社本庁HP参照)
神道では初盆のことを、「初盆祭」や「新御霊祭(あらみたままつり)」と呼びます。 神道のお盆では、祖霊舎のほかにも、精霊棚のような祭壇を作ります。 上から順に重要度の高いお供え物となります。
1.お米(洗米)
2.お酒
3.お餅
4.鮮魚
5.乾物
6.野菜・果物
7.塩
8.水
神式の場合は、白木に無地の白提灯が一般的です。
神道のお盆とは、この時期に御霊を家にお迎えしてお祭りする行事です。 「迎え火」や「送り火」は神道が始まりとされ神道では、「生き盆」とも呼ばれ時期については、地域よって違いがあります。
関西を含め全国的:8月15日を中心とした8月13日から8月16日の4日間です
東京を含め関東地方:7月15日を中心とした7月13日から16日の4日間です
沖縄県と鹿児島県奄美地方:年によって日付が変動し、旧暦7月13日~15日の3日間です
「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、彼岸は季節の変わり目であると同時に、また、祖先をまつる大切な行事でもあります。 彼岸は、春分の日(3月21日頃)と秋分の日(9月23日頃)をはさんだ前後の3日間ずつ、計7日間のことで、それぞれ春彼岸、秋彼岸と言い、彼岸の最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸の明け」、春分・秋分の日を「彼岸の中日」と言います。 彼岸には、お墓参りをする習慣があり、祖先の霊を家に迎える盆とは違って、祖先に会いにゆく行事としての色彩が濃いようです。 彼岸は、日本にしかない行事で、豊作に欠かすことのできない太陽をまつり、祖霊の加護を祈る古くからの儀礼と結びついたものと言われています。 彼岸には、「おはぎ」や「ぼたもち」を供え、お下がりとして食します。「おはぎ(御萩)」は萩の餅の略称、「ぼたもち」は牡丹餅で、いずれも同じものですが、春の牡丹、秋の萩と季節の花にたとえて呼ぶところに、日本人らしい感性がうかがわれます。 (神社本庁HP参照)
春分の日・秋分の日を中日とし前後3日間それぞれ合計7日間がお彼岸とされて、一般的には、お墓参りをしたりする期間で他の仏教国には無く、日本の風習と仏教が結びついたと言われています。
※春分・秋分の日は国民の祝日。昼と夜の長さがほぼ同じ日 (昼夜・東西が平行になるお彼岸は、扉が開きあの世へ繋がるといわれてきた)
沖縄県と鹿児島県奄美地方:お墓参りに行かず(火の神様)や、(仏壇)にお供えし健康や厄除けをお祈りします。
神式のお墓は先端部を尖らせて四方を鋭角に刻む剣先上の形としているなどの特徴があります。 お墓に仏教と神道との大きな違いは無く、日本のようにお墓を設けることは、元来の仏教の教えにはなかったことで、先祖供養いう日本の風俗習慣に基づくものだからです。 地域の風習による違いなどもあり、神道の特徴を一概に挙げることはできませんが、自然石に家名を刻んでいたり、墳丘型という土饅頭の形であったり、墓前に鳥居を設けたりしたものなどもあります。
神道のお墓参りでは、榊(さかき)という植物を供えます。神道式では、ろうそくに火を灯します。 持ち物としては、榊、ろうそく、お神酒、塩、水、米などが代表的なものになります。 地域によって違いがあるので確認が必要です。 服装については、派手な服装、露出の目立つ服装はしません。 神道式のお墓参りでは亡くなった人は神様と同じ扱いで、 神社で参拝する時と同じように、二礼二拍手一礼で拝礼します。神社の行事
地鎮祭(じちんさい)は、建築物の建設を始める前に国土の守護神である大地主神おおとこぬしのかみと、その地域の神様である産土神うぶすなのかみ、またその土地の神々である「此の地を宇志波伎坐うしはきます大神等」をお祀りします。 地鎮祭の目的は、土地や場所の神々に感謝し、土地の神の加護を得て、安全な工事と良い建物が建てられるように祈願することです。これによって、工事が無事に進み、将来的なトラブルや災害を回避し、良い縁起を呼び込むと信じられています。 地鎮祭の具体的な内容は地域により異なりますが大まかな流れは、祭壇や参列者を祓い清める、祭壇に神饌(しんせん)を供える、祝詞(のりと)をあげる、現場を祓い清める、鍬入れや鎮め物を埋める、玉串を祭壇に捧げる、神饌を下げる、神様にお帰り頂く、神酒で乾杯して約30分で終了 日本の建築文化において重要な行事であり、地域の人々や関係者が一堂に集まり、協力と祝福の気持ちを共有する機会ともなっています。
厄祓い(やくはらい)は、日本の伝統的な宗教行事で、災厄や不幸を祓い清め、厄払いをする儀式や行事のことを指します。者を呼び寄せ、神聖な水やお清めの道具(お札やお守りなど)を用いて清めの儀式が行われます。また、寺院での厄祓いでは、僧侶が経文を唱えながら厄払いを行うこともあります。 「厄祓い(やくはらい)」とは、日本の民間信仰や神道において行われる、厄や邪気を払い清める儀式のことを指します。 厄とは、邪気や災いのことを意味し、人生の節目や年齢に応じた厄年(やくどし)というものがあり、その年には災いや不幸が降りかかるとされています。厄年には、厄除けや厄払いのために、厄祓いが行われます。 厄年の年齢は、人の一生の中でも、体力的、家庭環境的、或は対社会的にそれぞれ転機を迎へる時でもあり、災厄が起こりやすい時期として忌み慎まれています。 その年に当たっては、神様の御加護により災厄から身を護るため、神社に参詣をして、災厄を祓う「厄祓いやくばらいの儀」がおこなわれます。 厄年の年齢は「数え年」で数え、地域によって多少異なるところもありますが、男性が二十五歳・四十二歳・六十一歳、女性が十九歳・三十三歳・三十七歳などを言い、 この年齢の前後を前厄・後厄といいます。 厄年は本来晴れの年齢と考えられていました。厄年を迎えることは、社会において一定の地位となることであり、宮座への加入や神輿担ぎなど、神事に多く関わるようになります。 厄年の「厄」は、神様にお仕えする神役の「役」であるといわれるのも、こうした理由によるものです。
※この中でも男性・四十二歳と女性・三十三歳を大厄として、特に意識されることが多いようです。
七五三(しちごさん)は、日本の伝統的な行事で、特定の年齢の子供たちの成長を祝い、健康や幸福を願うお祝いの日です。通常、3歳の女の子・5歳の男の子・7歳の女の子が対象とされますが、地域や家庭によっては少し年齢が異なることもあります。 七五三の起源は古く、平安時代から続く日本の風習とされています。かつて子供たちの成長や健康が脆弱だった時代に、その子供たちの健康な成長を祝い、病気や災害から守ってくれる神々に感謝する意味合いがあります。 七五三の主な行事は、子供たちとその家族が神社や寺院を訪れ、神社の神や仏に感謝の気持ちを表し、お祈りを捧げることです。子供たちは、着物や袴(はかま)などの伝統的な装束を着て参拝し、親や祖父母と共に記念撮影を行うことも一般的です。 また、七五三の季節には神社や寺院周辺が賑やかになり、地域のイベントや祭りが行われることもあります。これによって、家族や地域の絆を深める機会となっています。 七五三は日本の伝統行事の中でも特に親しまれており、子供たちにとって特別な日として大切にされています。 11月15日前後の休日、神社の社頭は晴れ着姿で七五三を祝うたくさんの親子連れで賑います。七五三は、古くからの風習である三才の「髪置かみおき」、五才の「袴着はかまぎ」、七才の「帯解おびとき」に由来するといわれています。 「髪置」は男女児ともに行われた儀式で、この日を境に髪を伸ばし始めました。また、「袴着」は男児がはじめて袴を着ける儀式で、「帯解」は女児がそれまでの幼児用の付紐をやめ、大人の帯を締める儀式です。 現在のように、七五三を11月15日に盛大にお祝いするようになったのは江戸時代からのことで、五代将軍徳川綱吉が息子の徳松の健康を盛大に祈願したことから、それが庶民に広まったともいわれています。 今とは違い、当時は医療が進んでいなかったために乳幼児の死亡率も高く、子供を七五三の年齢まで無事に育てることは並大抵なことではなかったのです。 「七つまでは神の内」と言うように、それまでの子供の成長は神さまにお任せするしかありませんでした。 我が子の成長を喜ばない親はいません。七五三では、子供が無事に育つことができたことを皆で祝い、これまで見守って下さった氏神様やご先祖様にお参りをして感謝の気持ちを表し、これからの健やかなる成長をお祈りしましょう。
- 安産祈願:妊娠五ヶ月目(地域によって日数に相違)の戌いぬの日には、神社にお参りし、安産を祈願し、帯祝いと称して妊婦の腹に木綿の布で作られた腹帯(岩田帯)を巻きます。
- 産湯:産湯とは産土さまがお守りくださる土地の水のことで、産湯で子供の身体を清め、発育を願います。
- お七夜:七日目のお七夜には、子供の命名をして親類や隣近所の方などを招いてお祝いの席が設けられます
- 初宮参り:子供が初めて神社にお参りする初宮参りは、氏神さまに誕生の奉告と御礼をし、氏子として今後の健やかな成長を神さまに見守ってもらうようにと祈願するものです。一般的に男の子は三十一日目、女の子は三十三日目に行われています
- お食い初め:生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。ちょうど百日目にお祝いをすることから「百日ももかの祝い」とも呼ばれます。
- 還暦(かんれき)61歳 …ゆかりの色/赤:妊娠五ヶ月目(地域によって日数に相違)の戌いぬの日には、神社にお参りし、安産を祈願し、帯祝いと称して妊婦の腹に木綿の布で作られた腹帯(岩田帯)を巻きます。
- 古稀(こき)70歳 …ゆかりの色/紫・紺:産湯とは産土さまがお守りくださる土地の水のことで、産湯で子供の身体を清め、発育を願います。
- 喜寿(きじゅ)77歳 …ゆかりの色/紫・黄:七日目のお七夜には、子供の命名をして親類や隣近所の方などを招いてお祝いの席が設けられます
- 傘寿(さんじゅ)80歳 …ゆかりの色/金茶色・黄・紫:子供が初めて神社にお参りする初宮参りは、氏神さまに誕生の奉告と御礼をし、氏子として今後の健やかな成長を神さまに見守ってもらうようにと祈願するものです。一般的に男の子は三十一日目、女の子は三十三日目に行われています
- 半寿(はんじゅ)81歳 …ゆかりの色/金茶色・金色・黄:生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。ちょうど百日目にお祝いをすることから「百日ももかの祝い」とも呼ばれます。
- 米寿(べいじゅ)88歳 …ゆかりの色/金茶色・金色・黄:生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。ちょうど百日目にお祝いをすることから「百日ももかの祝い」とも呼ばれます。
- 卒寿(そつじゅ)90歳 …ゆかりの色/白:生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。ちょうど百日目にお祝いをすることから「百日ももかの祝い」とも呼ばれます。
- 白寿(はくじゅ)99歳 …ゆかりの色/白:生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。ちょうど百日目にお祝いをすることから「百日ももかの祝い」とも呼ばれます。
- 百寿(ももじゅ)・紀寿(きじゅ)100歳 …ゆかりの色/白:生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。ちょうど百日目にお祝いをすることから「百日ももかの祝い」とも呼ばれます。
- 皇寿(こうじゅ)111歳 …ゆかりの色/特になし:生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。ちょうど百日目にお祝いをすることから「百日ももかの祝い」とも呼ばれます。
- 大還暦(だいかんれき)121歳 …ゆかりの色/特になし:生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。ちょうど百日目にお祝いをすることから「百日ももかの祝い」とも呼ばれます。
- 人日(じんじつ)の節供1月7日―七草の祝い―
- 上巳(じょうし)の節供3月3日―ひなまつりー
- 端午(たんご)の節供 5月5日―子供の日―
- 七夕(しちせき)の節供 7月7日―七夕まつりー
- 重陽(ちょうよう)の節供9月9日―菊まつりー
一般的に参拝作法は、永い間の変遷を経て現在、神社での参拝方法は、二拝二拍手を基本としていますが、神社によっては特殊な拝礼方法を行っているところもあります。