浄土真宗は、浄土信仰に基づく鎌倉仏教の一つで、開祖である親鸞は、1173年4月1日、京都市で日野有範の長男として生まれ幼名を松若丸といいます。 9歳で出家、比叡山天台宗の僧侶となりました。その後、法然上人の唱えた専修念仏出会います。求めていた教えに出会い法然のもとで修業をしていましたが1207年の念仏禁止令が出され越後に流罪ととなります。 その間に、恵信尼と結婚し子供をもうけ在家仏教を自ら実践しました。親鸞は教団をつもりはなかったと言われ浄土真宗教団として整ったのは没後10年を経てからです。 浄土真宗には、本願寺派、大谷派など十派に分かれ国内では最も多くの寺院、信者がいるとも言われています。 「一向宗(いっこうしゅう)」「門徒宗」などと俗称された時代もありました。戦後は真宗10派のうち本願寺派が「浄土真宗」、他9派が「真宗」としています。 浄土真宗本願寺派は、門徒数は700万人、真宗大谷派の550万人と併せて日本で最大の規模を誇る宗門となりました。
Jodo Shinshu is a branch of Kamakura Buddhism based on the Pure Land faith. Shinran, the founder of Jodo Shinshu, was born on April 1, 1173 in Kyoto as the eldest son of Hino Arinori, and his childhood name was Matsuwakamaru. He was ordained at the age of 9 and became a monk of the Tendai sect of Buddhism on Mount Hiei. Later, he encountered the Sennshu Nembutsu chanted by Honen Shonin. He found the teaching he was looking for and practiced under Honen, but in 1207 he was exiled to Echigo-Tsumari due to the prohibition of Nenbutsu (Buddhist prayer). During this time, he married Keishin nun, had a child, and practiced zainichi Buddhism on his own. It is said that Shinran did not intend to establish a cult, and it was not until 10 years after his death that a Jodo Shinshu cult was established. The Jodo Shinshu sect is divided into ten schools, including the Honganji and Otani schools, and is said to have the largest number of temples and followers in Japan. There was a time when it was commonly referred to as "Ikko-shu" or "Monko-shu. After the war, of the ten Shinshu schools, the Honganji school is called "Jodo Shinshu" and the other nine schools are called "Shinshu. The Honganji School of Jodo Shinshu has 7 million adherents, and together with the 5.5 million adherents of the Otani School of Shinshu, is the largest sect in Japan.
親鸞聖人は、他力本願を教えとし、一切衆生の救済は、阿弥陀仏のはたらきによって成立するとされています。浄土真宗では、朝と夕方に、正信偈(しょうしんげ)と御文章をお仏壇の前で(おつとめ)をします。『正信偈』とは、真宗の要義大綱を七言60行120句の偈文にまとめたもので, 帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)・南無不可思議光(なむふかしぎこう)で始まる偈です。浄土真宗は僧侶に肉食妻帯が許されています。明治期までは、妻帯が許されている唯一の仏教宗派でした。
死について他の宗派との違いが大きいのが特徴で、死と同時に阿弥陀如来によって極楽浄土に迎えられる為、成仏を祈る必要がないとされています。
※『御文章』とは、蓮如上人の布教手段として全国の門徒へ発信した仮名書きによる法語です。
おつとめ等
「正信偈」:親鸞の著した《教行信証》行巻の末尾の「正信念仏偈」
「和讃」:和語(日本語)で仏ぶつ・菩薩ぼさつ・高僧こうそうの徳や教えを讃たたえる歌。
「御文章」:蓮如上人の書かれたお手紙を集めたものです。
「讃仏偈」:仏説無量寿経の一部、短いお経で讃仏偈の讃仏というのは(仏さまを讃える)という意味で偈とは(うた)のことです。
「重誓偈」:ご本尊である阿弥陀如来の(迷い苦しむ全てのものを救いたい)という願いがこもったお経です。
東本願寺(正信偈の教え)
京都女子大学HP(正信念仏偈・念仏・和讃・回向)
阿弥陀如来の印相について:死をむかえた時に、阿弥陀仏が極楽浄土より迎えに来るときの姿とされています。九種類あるといわれ、九種類をまとめての阿弥陀像を九品といわれます。仏右手を上に、左手を下にし、それぞれ親指と人差し指で輪している姿を一般的には来迎印(らいごういん)と呼び、浄土真宗では摂取不捨印(せっしゅふしゃいん)と呼んでいます。
光背について: 浄土宗では,舟形光背などの光背を持つ阿弥陀如来、浄土真宗では放射光背の姿で、線の数は阿弥陀如来の四十八願(しじゅうはちがん)を表わした48本です。
仏壇については、阿弥陀如来への本願により浄土へ導かれるという教え、を表した金仏壇が主流です。最近ではインテリアにマッチした現代風のデザインを求められる方が増えています。